9月9日 酒田北港に南極観測船「しらせ」が入港しました。

平成14年9月以来15年ぶりの入港です。

 

この「しらせ」という艦名は、初代南極観測隊隊長 白瀬 矗(しらせ のぶ)に由来しています。(秋田県由利郡金浦村生まれ:現秋田県にかほ市)

白瀬隊長率いる探検隊は明治45年1月16日、日本で初めて南極大陸の地に上陸しました。

それから南極点に向かって出発したものの、氷点下20度前後の厳しい寒気とブリザードの中で様々なアクシデントに見舞われ、走行距離282キロ地点で力尽きます。

氷原突進を中止した白瀬隊長は1月28日、南緯80度05分、西経156度37分にて、一同整列して日章旗を立て、視野に入る全域を「大和雪原(やまとゆきはら)と命名し日本の領土とすることを宣言しました。

当時、公の支援も十分に受けられない中で巨額な私費を投じ、それでも不十分な船と装備に頼ってまで南極大陸を目指した白瀬隊長の信念とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

 

この白瀬矗の偉業をたたえる白瀬記念館が車で約45分、隣県の秋田県にかほ市にあります。少し足を延ばしていにしえの冒険の余韻に浸ってみてはいかがでしょうか。

 

 

最後の写真はしらせ艦上からの酒田共同火力です。

我々が誇る職場は水上都市のようです。