こんにちは 総務部の鈴木です。

 

お正月気分が抜けきっていないのに早くも1月下旬になってしまいました。
これは地球の自転が早くなったに違いない!
と近年そう思いつづけている鈴木です。

さて、当社創業時から勤務されていた佐藤喜一さんが、
1月に65歳のお誕生日を迎えられ、それに伴って20日で退職されました。
若い時代は腕の良い溶接士として数々の難工事をこなして来ました。
その後、長年に亘って火力営業所長として会社を支えられ、60歳頃からは火力営業所の安全担当として現場の安全管理に力を注いでいただきました。
おかげさまでこの間重大な業務災害が1件も発生していないことは、偏に喜一さんのご尽力のおかげです。

今年に入って喜一さんから当社の歴史についてお話ししていただく機会が数回ありました。

喜一さんが入社した時の社名は仙台市に本店を置く『五十鈴興業』だったそうです。
それから、五十鈴プラント(仙台市)、富士プラント(仙台市)と名前を変えて行きました。

富士プラントは昭和56年1月に新仙台火力、秋田火力、酒田共同火力にあった事業所をそれぞれ独立させ、酒田事業所を引き継いだ先代の長島社長が社名を(有)中央機工と名付けたそうです。

私が入社した昭和57年当時はまだ「五十鈴興業」や「富士プラント」と名称が記載された書類は残っていましたが、今回のように会社の変遷を聞く機会は一度も無かったので喜一さんが退職される前に聞けて本当に良かったと思います。

それと同時に、現在働いている社員たちが自分の会社の歴史を知る良い機会だと思ったのでこのコラムに載せました。

 

-さて、1月20日の会話の一コマです-

                   私 「喜一さん、退職したら毎日何する?」
喜一「なんにもさねえ(笑)」
私 「何もさねどボゲるよー!」
喜一「あーそうが」

喜一さんの周りには、いつもゆったりとした空気が流れていて・・・

   癒されます(^^)

 

喜一さん、

これからは自分のために時間を存分に使って

人生を楽しんでください。

くれぐれもお元気で!

長い間本当にお世話になりました。

そしてありがとうございました。